チェッカーズのドラムを担当していた徳永善也さんが、2004年8月17日に40歳で亡くなったことが、ファンや音楽界に衝撃を与えています。彼の死は、チェッカーズの解散理由やメンバー間の確執についての新たな視点を提供しています。
徳永さんは1964年に福岡県で生まれ、愛称「クロベエ」で親しまれていました。彼は1983年にチェッカーズとしてメジャーデビューし、瞬く間に人気バンドとなりましたが、1992年に解散。表向きの理由は方向性の違いとされていますが、実際には作曲家の沢弘明さんとの確執が大きな要因とされています。藤井文也さんが「彼の歌はもう歌いたくない」と発言したことが、二人の関係を悪化させました。
解散後、徳永さんは事務所に残り続けました。その背景には、父親の悲惨な事故が影響していました。父親は会社の従業員を送迎中に電車に衝突し、この事故は大きなニュースとなりました。徳永さんは、事務所が事故の後処理を行っていたため、解散後もそこに留まっていたのです。
その後、徳永さんは音楽活動を再開しようとしましたが、2003年に病魔が襲いました。彼は入院しながらも、ライブに出演するなど、音楽への情熱を貫きました。しかし、2004年8月に息を引き取りました。
葬儀には元メンバーが集まり、徳永さんを偲ぶ会が開かれましたが、藤井文也さんは参列しませんでした。これは、徳永さんが藤井さんの派閥に加わらなかったためとされ、音楽性の違いやメンバー間の確執を反映しています。
徳永さんは、亡くなる直前までメンバー間の和解を望んでいたことが伝えられています。彼の死は、チェッカーズの歴史やメンバーの人間関係を再考させる契機となっています。