「中山美穂さん」パリで親交があったパティシエが語った「夜の街を歌いながら歩き」「辻さんと3人で飲んだ」日々

12月6日に急逝した中山美穂さん(享年54)はおしいものを食べるのも、お酒を飲むのも好きだった。通っていたお気に入りの店もいくつかあった。パリのケーキ店、東京の焼き肉店、ラーメン店……美穂さんと交流のあったパティシエや店主らが「食」を通して垣間見えた“素顔”を語ってくれた。 美穂さんは女優として活躍していた2002年、芥川賞作家でミュージシャンの辻仁成氏(65)と結婚。芸能活動を休止して、フランス・パリに移住した。そして04年に長男を出産。14年7月に辻氏と離婚するまで、パリに10年以上滞在した。 パリで美穂さんが行きつけだったのは、吉田守秀さん(47)が経営するケーキ店「MORI YOSHIDA」。同店がオープンしたのは2013年だが、吉田さんは美穂さんとの出会いをこう話す。 「出会いは僕がケーキ店をオープンしてすぐの頃です。知人のつながりで、食事会に誘っていただいたのが最初でした」 やがて、美穂さんは「MORI YOSHIDA」にも来るようになった。 「美穂さんは辻さんと夫婦で来たこともありますし、一人で来たこともありました。辻さんといるときは本当に静かでしゃべらない印象でしたが、美穂さん一人で来店すると、すごく明るくしゃべっていましたね」(吉田さん) 美穂さんと吉田さんは次第に打ち解けるようになり、外に少人数で食事に出かけるようにもなった。 「当時、パリに『みほ会』というのがあって、いろんな『みほ』さんが集まって、食事会を開いていました。そこに僕も入れてもらって、料理を手伝ったり、食事をしたりしていました。美穂さんはワイン好きで、特に白ワインが好みでした。3~4杯飲むとだいぶ出来上がって、それからが長いんです(笑)。みんなで楽しく飲むのが好きで、最初に酔っぱらって、人を楽しませるし、自分も楽しくなっちゃう人。異国暮らしで、いろんなストレスもあったのかもしれません。夜中に帰るときもあったし、朝まで飲んでいるときもありました。家が近所だったので、帰りは辻さんと息子さんが待つ自宅まで送っていく担当でしたね。今思うとかけがえのない時間でした」 お互いを「ヨッシー」「美穂さん」と呼ぶほど仲良くなると、帰り道のパリの夜の街を歩きながら、美穂さんは歌うこともあったという。 「ご自分の持ち歌の中で一番好きな曲は『ただ泣きたくなるの』だと話していました。原曲よりちょっと明るめにアレンジして歌いながら歩く美穂さんの後を、僕がついていくという感じでした」 ■「ヨッシーのケーキだと食べられちゃう」 美穂さんの自宅に着くと、辻さんが迎えてくれ、「せっかく来たんだから飲んでいって」と自宅に上げてもらったこともあったという。 「辻さんと美穂さんと3人で飲んだこともありましたね。最初のご自宅は現代建築の部屋だったんですけど、引っ越した後の家はオスマン調の昔ながらの天井の高いところでした。広すぎて寒いくらいでした」 美穂さんはパリでの生活を楽しんでいたようだ。 「ダンスを習っていると聞いたことがあります。ラテンぽいダンスで、飲みに行くと軽やかに踊っていました。『一緒に踊ろうよ』と誘われたこともありますが、僕は『パティシエは踊らないんですよ』と言って断っていました」  美穂さんとさまざまな話をするなかで、吉田さんには忘れられない言葉があるという。 「僕がわりとストイックにお菓子作りに熱中していて、パティシエ論?みたいな話になった時に、美穂さんがこう言ったことがありました。『ヨッシーみたいにお菓子一本でやってきた人もいるし、お菓子を楽しく作る生活の一部として、パティシエをしている人もいる。どちらも正解なんじゃないかな。パティシエにもいろんなタイプがいて、自分と違うタイプを否定するのは違うと思う。才能がある人もいるし、そうでもない人もいる。いろんな人がいていいんじゃないの』。この言葉に美穂さんの人柄があらわれているような気がして、今となっては余計に思い出してしまいます」 美穂さんは同店のイチゴショートケーキが好きで、それをほおばりながら「ヨッシーのケーキだと食べられちゃうんだよね。なんだか落ち着くわ」と語っていたという。 辻氏との離婚後、美穂さんは再び東京で暮らし始めた。歌手としてステージに立ち、女優としても復活を目指していた。…

《独自》斉藤由貴 60代不倫医師との関係が続いていた!目撃した58歳誕生日の“セクシーワンピ”で夜這い姿

日が沈み、夜のとばりが下りたころ、背中が大きく開いたワンピース姿の妖艶な女性が手慣れた様子で機械式の駐車場を開錠していた。彼女は乗ってきた車を格納すると、マンション内へと入っていく――。 女性は女優・斉藤由貴(58)。手には花束を2つ持っていたが、この日、9月10日は彼女の58歳の誕生日だったのだ。 「うちのマンションで斉藤さんをときどきお見かけするのです。マンション内の駐車場も借りているようですし、転居されてきたのかもしれません」 横浜市内のマンション住人からそのような情報を本誌がキャッチしたのは最近のこと。 だが取材の結果、そのマンションは斉藤の“新居”ではなく、横浜市内でクリニックを開業している60代の医師・T氏が住んでいることがわかった。 斉藤とT氏は浅からぬ間柄だった。スポーツ紙芸能デスクはこう語る。 「斉藤さんとT氏のW不倫が発覚したのは’17年のことでした。『週刊文春』が、斉藤さんの借りているマンションに、週に何度もT氏が訪問していることなどを報じたのです。斉藤さんも当初は関係を否定していましたが、『FLASH』が2人のキス写真を掲載し、不倫関係を認めざるをえなかったのです」 さらに『FLASH』が、斉藤のものと思われる白い下着をT氏が被っている写真を報じたことで、波紋は広がり、斉藤は出演予定だったNHK大河ドラマ『西郷どん』を降板する事態に追い込まれた。 「いっぽうのT氏は、不倫が発覚したことで離婚しています。所有していた不動産を前妻に財産分与したのです。 2人は関係の解消を発表しましたが、T氏がかなりの痛手をこうむったにもかかわらず、斉藤さんとの縁を完全には切ることができなかったのは、故・尾崎豊さんや川﨑麻世(61)らとも不倫が報じられてきた彼女の“魔性”ゆえだったのでしょうか……」(前出・スポーツ紙芸能デスク) 不倫報道から6年後の’23年11月、『週刊文春』により、斉藤がT氏のクリニックの前で泣き叫び、警察も出動する騒ぎがあったことが事細かに報じられた。 「しかし斉藤さんは、『週刊文春』の直撃取材に対して、『本当にあの時にたまたま偶然会っただけなんです』『泣いてしまったからといって関係が続いていたと言われるのは、とても不本意です』などと、T氏との交際が続いていることに関しては完全否定していました」(前出・スポーツ紙芸能デスク) ■離婚の可能性について斉藤を直撃したが… 当時、斉藤の所属事務所も『週刊文春』の取材に対して次のように回答していた。 《T氏とお会いすることについて(斉藤は)ご家族に報告していると聞いています。2017年以降、(T氏と)お付き合いはしておりません》 前出のスポーツ紙芸能デスクによれば、 「斉藤さんの長女も女優としてデビューし、連続テレビ小説『ちむどんどん』にも出演しました。長女の活動に影響を及ぼさないためにも、斉藤さんとしては全力で交際を否定せざるをえなかったのでしょう」 だが本誌の取材によれば斉藤はT氏との不倫をいまも続けており、自宅とT氏のマンションでいわば“二重生活”を送っていたのだ。 誕生日の翌朝、T氏がクリニックへ車で出勤していくと、ほどなくして斉藤もマンションから現れ、同じ市内にある自宅へと帰っていった。 夜に恋人のもとへ忍んで通うことを“夜這い”という。夫や娘たちは、誕生日も家族とは過ごさず、セクシーな装いで夜に外出し、朝帰りをする斉藤に対してどんな思いを抱いているのか。…

中山美穂さんが“誤解”されていた「離婚と親権」そして「恋」…関係者は「批判は厳しすぎる印象があった」

女優で歌手の中山美穂さんが6日、東京・渋谷区の自宅で亡くなったことが分かった。54歳だった。 中山さんは同日の午後にビルボード大阪でライブ「Miho Nakayama Christmas Concert 2024 in Billboard Live」を予定していたが、仕事現場に姿を見せなかったことから関係者が自宅を訪問したところ、自宅の浴槽で見つかった。その後、搬送先の病院で死亡が確認された。 現在、警視庁が亡くなった経緯や死因について調べているが、今のところ詳しいことはわかっていない。 「今月5日、中山さんはインスタグラムで東京・六本木ヒルズの森美術館で開催中の『ルイーズ・ブルジョワ展』を鑑賞したことを報告しています。一部では、その投稿の中の『2、3日心がえぐられて、一緒に行った友としか会話が出来なかった。 写真下手だけど、上手くてもなんにも表現できない』といった内容が注目を集めています。ただ、現場には遺書などはなく、5日の夜にも事務所関係者と仕事に関するメッセージのやりとりをしていたようです。浴槽内で見つかった状況から、溺死やヒートショックの可能性もあるとみられています」(民放テレビ局の情報番組スタッフ) かつてのトップアイドルにして人気女優の突然の訃報に、ネット上では「本当にショックです!」や「いまだに信じられない」「まさかミポリンが…」など驚きと悲しみの声があふれている。 6日夜には所属事務所も公式サイトでコメントを発表。 「日頃よりお世話になっている関係者の皆様及び応援してくださっているファンの皆様に、突然このようなお知らせをすることになり、心苦しいばかりですが、あまりに突然の出来事で、弊社も驚きと悲しみで呆然としております。なお、死因等の詳細は現在確認中です」と悲痛な思いをつづっている。 中山さんは1985年年にTBS系ドラマ「毎度おさわがせします」で女優デビュー。同年に『C』で歌手デビューを果たし、80年代半ばから90年代にかけて「ミポリン」の愛称でトップアイドルとして人気を博した。 女優としては、89年放送のフジテレビ系“月9”ドラマ「君の瞳に恋してる!」、90年放送の「すてきな片想い」、94年放送のTBS系「もしも願いが叶うなら」、98年に放送され木村拓哉とのダブル主演で平均視聴率 25%超えを記録したフジテレビ系「眠れる森」、2001年放送のTBS系「Love Story」などの数々の人気ドラマに出演した。 映画では、ヒロインを務めた映画初主演となった「ビー・バップ・ハイスクール」(1985年)や主演映画「波の数だけ抱きしめて」(91年)、岩井俊二監督作品の「Love Letter」(95年)、「日本アカデミー賞」優秀主演女優賞を受賞した「東京日和」(98年)、「サヨナライツカ」(2010年)などの有名作品で好演した。…