中山美穂さんが“誤解”されていた「離婚と親権」そして「恋」…関係者は「批判は厳しすぎる印象があった」

女優で歌手の中山美穂さんが6日、東京・渋谷区の自宅で亡くなったことが分かった。54歳だった。

写真・図版(1枚目)| 中山美穂さんが“誤解”されていた「離婚と親権」そして「恋」…関係者は「批判は厳しすぎる印象があった」 | AERA dot. (アエラドット)

中山さんは同日の午後にビルボード大阪でライブ「Miho Nakayama Christmas Concert 2024 in Billboard Live」を予定していたが、仕事現場に姿を見せなかったことから関係者が自宅を訪問したところ、自宅の浴槽で見つかった。その後、搬送先の病院で死亡が確認された。

現在、警視庁が亡くなった経緯や死因について調べているが、今のところ詳しいことはわかっていない。

「今月5日、中山さんはインスタグラムで東京・六本木ヒルズの森美術館で開催中の『ルイーズ・ブルジョワ展』を鑑賞したことを報告しています。一部では、その投稿の中の『2、3日心がえぐられて、一緒に行った友としか会話が出来なかった。 写真下手だけど、上手くてもなんにも表現できない』といった内容が注目を集めています。ただ、現場には遺書などはなく、5日の夜にも事務所関係者と仕事に関するメッセージのやりとりをしていたようです。浴槽内で見つかった状況から、溺死やヒートショックの可能性もあるとみられています」(民放テレビ局の情報番組スタッフ)

かつてのトップアイドルにして人気女優の突然の訃報に、ネット上では「本当にショックです!」や「いまだに信じられない」「まさかミポリンが…」など驚きと悲しみの声があふれている。

6日夜には所属事務所も公式サイトでコメントを発表。

「日頃よりお世話になっている関係者の皆様及び応援してくださっているファンの皆様に、突然このようなお知らせをすることになり、心苦しいばかりですが、あまりに突然の出来事で、弊社も驚きと悲しみで呆然としております。なお、死因等の詳細は現在確認中です」と悲痛な思いをつづっている。

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中山さんは1985年年にTBS系ドラマ「毎度おさわがせします」で女優デビュー。同年に『C』で歌手デビューを果たし、80年代半ばから90年代にかけて「ミポリン」の愛称でトップアイドルとして人気を博した。

女優としては、89年放送のフジテレビ系“月9”ドラマ「君の瞳に恋してる!」、90年放送の「すてきな片想い」、94年放送のTBS系「もしも願いが叶うなら」、98年に放送され木村拓哉とのダブル主演で平均視聴率 25%超えを記録したフジテレビ系「眠れる森」、2001年放送のTBS系「Love Story」などの数々の人気ドラマに出演した。

映画では、ヒロインを務めた映画初主演となった「ビー・バップ・ハイスクール」(1985年)や主演映画「波の数だけ抱きしめて」(91年)、岩井俊二監督作品の「Love Letter」(95年)、「日本アカデミー賞」優秀主演女優賞を受賞した「東京日和」(98年)、「サヨナライツカ」(2010年)などの有名作品で好演した。

一方、歌手としてもミリオンセラーとなった『ただ泣きたくなるの』をはじめ、『遠い街のどこかで…』や『人魚姫』、『WAKUWAKUさせて』や『派手!!!』、「WANDS」との『世界中の誰よりきっと』など数々のヒットを世に放ち、1988年から7年連続での「NHK紅白歌合戦」への出場も果たしている。

芸能事務所のベテランマネジャーはその活躍ぶりをこう語る。

「中山さんは女優と歌手を両立するトップアイドルの先駆けとも言える存在でした。年齢、性別を問わず人気を集め、アイドル、女優、アーティストとして携わった数々の作品をヒットに導くなど、功績の大きさはもちろん、浮き沈みの激しい芸能界でその活躍の息の長さも特筆すべきものがありました」

私生活では2002年にミュージシャンで小説家の辻仁成と電撃結婚。同年10月期の主演ドラマ「ホーム&アウェイ」を最後に芸能活動を一時休止し、夫婦でフランス・パリへ移住。04年には長男を出産した。

だがその後、14年に辻との離婚騒動が勃発し、音楽家との不倫まで報じられると、同年7月に辻との協議離婚が成立した。

当時について、前出の民放テレビ局の情報番組スタッフはこう振り返る。

「息子さんの親権が辻さんに渡ったことに加えて、離婚直後の14年8月に登場した女性誌『美ST』で離婚の真相について『好きな人に出会った』と語ったことや自身のTwitter(現X)で音楽家とのエピソードをつづるなど、オープンな交際を続けました。これに対して、一部から『恋愛依存体質』『自由過ぎる』などとの声もあがりました。ただ、実際のところは“親権を譲ることが離婚を承諾してもらう条件だった”とも話していますし、『家庭を捨てた』という批判は厳しすぎるものがあったという印象です。そういう意味では、誤解されやすい一面もあったように思います」

そして、音楽家との破局後は芸能界へ本格復帰する。18年には日韓合作映画「蝶の眠り」で5年ぶりの映画主演を果たし、翌19年には歌手活動を再開。同年12月に20年ぶりのニューアルバム『Neuf Neuf』を発表し、20年12月にはベスト盤「All Time Best」をリリースした。

今年は4月から19都市21公演をまわる全国ツアー「Miho Nakayama Concert Tour 2024 Deux」を開催するなど音楽活動にも精力的だった。

近年はバラエティーやトーク番組などに出演する機会は少なく、私生活やパーソナルな部分はベールに包まれていたが、今年9月には「アウト×デラックス2024 世界中の誰よりアウト集結SP」(フジテレビ系)に登場。

「一番心を許す相手」という、お笑いトリオ・インスタントジョンソンのメンバーでギャンブル芸人としても知られる「じゃい」と共に出演し、カラオケのあるバーで楽しそうに『世界中の誰よりきっと』を熱唱するプライベート動画が公開された。そのスターらしからぬ飾らないキャラクターや意外な交友関係は大きな反響を呼んだ。

「芸能界からもたくさんの悲しみの言葉や哀悼の意が寄せられているように、輝かしい功績はもちろん、仕事に対する真摯なスタンスや人間的な魅力で多くの同業者から慕われていました。最近ではバラエティー番組への出演で気さくな人柄も知られるようになり、来年にはデビュー40周年を控える中でさらなる活躍が期待されていたのですが……。本当に言葉もありません」(前出のベテランマネジャー)

日本中が悲しみに包まれる中、今はただ中山さんのご冥福を祈ることしかできない。(立花茂)