『根暗な少女』を大スターに変貌させた篠ひろ子の言葉…初代付き人が明かした中山美穂が生まれるまでの軌跡
中山美穂さんが亡くなってから10日余りが経過し、12日に葬儀が終わったものの、彼女を偲ぶ声は未だに消えません。中山さんは俳優・歌手としてのキャリアを1985年のドラマ『毎度お騒がせします』でスタートし、瞬く間にスターダムへと駆け上がりました。彼女の初代マネージャーである岡島安浩氏が、彼女との思い出を語りました。
中山さんが芸能界に入ったのは1982年で、当初はモデルとして活動していましたが、14歳でのドラマデビューが彼女の運命を大きく変えました。彼女を見出した岡島氏は、初対面の際、彼女の目に特別な野生的な印象を受けたと振り返ります。彼女は、当初は別の女の子に決まっていた役をオーディションで勝ち取り、主役級の大役に抜擢されました。
『毎度お騒がせします』は、反抗的な子供たちを抱える家族の物語で、当時の社会問題を反映していました。中山さんの独特なルックスは、視聴者からの支持を受ける要因となり、ドラマは高い視聴率を記録しました。しかし、刺激的な内容に対する批判もあり、全国から苦情が寄せられる事態にもなりました。
彼女は撮影中に多くの困難に直面しましたが、共演者の篠ひろ子さんの励ましに支えられ、数々のシーンを乗り越えました。その後、シンガーとしても成功を収め、1985年には最優秀新人賞を受賞するなど、飛躍的なキャリアを築いていきました。
岡島氏は、中山さんのファンを大切にする姿勢を強調し、彼女の早すぎる死に衝撃を受けたと語っています。54歳という若さでの別れに、多くの人々が悲しみを抱いています。中山美穂さんの功績と影響力は、今後も語り継がれていくことでしょう。