「えっ? 本当か?」朝日新聞記者も驚いた「昭和の大スター・藤圭子(享年62)」突然の死

“どこまでも抜けるような夏の青空。舞い上がる入道雲。満員のスタンド。「青春だなあ」としみじみ思いながら応援席を見渡し、決勝戦ならではの雰囲気を味わっていたら、「藤圭子さん、自殺か」というニュースが入った”――。

2013年に訪れた、歌手の藤圭子さんの突然の死。いったい彼女に何があったのか? 朝日新聞記者の取材によって見えてきた彼女が抱える闇とは…。朝日新聞編集委員で、昨年10月に亡くなった小泉信一氏の『 スターの臨終 』(新潮社)より一部抜粋してお届けする。(全3回の1回目/続きを読む)

 

62歳で亡くなった昭和の大スター・藤圭子さん。彼女はどんな人生を送ったのか? ©文藝春秋

62歳で亡くなった昭和の大スター・藤圭子さん。彼女はどんな人生を送ったのか? ©文藝春秋© 文春オンライン

◆◆◆

「怨歌」の歌い手

子どものころ、あの歌声を聴いて、「なんて悲しいんだろう」と思った。「きっと悲しい人生を送ってきたにちがいない」と勝手に想像をたくましくもした。

「圭子の夢は夜ひらく」(1970年)などの大ヒット曲を日本の歌謡史に残し、流星のごとく光って消えた歌手・藤圭子である。人の世の悲しみと孤独に寄り添った歌を作家の五木寛之は「怨歌」と呼んだ。

当時、私は小学生。きらびやかなアイドルとはかけ離れた藤の「〽︎十五、十六、十七と私の人生暗かった~」という歌を聴いていると、「自分もあと何年か経てば暗い人生を送るのだろうな~」などと気が滅入ったりした。

70年代といえばオカルトブーム。「1999年7の月に人類は滅亡する」と予言した「ノストラダムスの大予言」が大ヒットした時代でもあった。公害も大きな問題となり、世の中全体がどんよりと暗い時代でもあった。

 

さて、藤の衝撃の死から10年あまり。ドロリと湿った情念の泥沼から生まれたあの歌声が、どのような宿命を背負っていたのかを追ってみたい。

突然の訃報

 

まずは2013年8月22日、東京・新宿の高層マンションから藤が飛び降り自殺をした「あの日」に戻る。私は夏の高校野球の決勝大会を取材するため、兵庫県の阪神甲子園球場にいた。当時、大阪本社の編集委員だったこともあり、決勝の模様をコラムで書こうと思ったのである。

決勝が始まるのは午後からということもあり、私が球場に着いたのは正午ごろだった。

どこまでも抜けるような夏の青空。舞い上がる入道雲。満員のスタンド。「青春だなあ」としみじみ思いながら応援席を見渡し、決勝戦ならではの雰囲気を味わっていたら、「藤圭子さん、自殺か」というニュースが入った。

「えっ? 本当か?」

青春を謳歌する若者たちの姿と62年の生涯を自殺という手段で幕を下ろした昭和の大スター。そのあまりにもかけ離れた現実に、目の前が一瞬クラクラしたのを覚えている。

気を取り直し、甲子園球場のスタンドから本社のデスク席に電話をすると、たしかに藤の訃報が入っているという。甲子園のざわめきを背に、私は急いで球場を去り、大阪・中之島にある朝日新聞大阪本社に向かった。もうすでに夕刊は刷り上がっており、藤の訃報が本人の顔写真入りで社会面に掲載されていた。

〈歌手・藤圭子さん死去 自殺の可能性

 

歌手の藤圭子さん(62)が22日午前7時ごろ、東京都新宿区西新宿6丁目の路上で倒れているのが見つかった。病院に運ばれたが、まもなく死亡が確認された。警視庁は、現場の状況から、現場前のマンションから飛び降り自殺したとみている。藤さんは、歌手の宇多田ヒカルさんの母親。

 

新宿署によると、藤は仰向けで倒れ、履いていたとみられるスリッパの片方が近くに落ちていた。知人が住むマンション13階の部屋のベランダに、もう片方が落ちていたという。着衣に乱れはなかった。遺書は見つかっていない。

 

藤さんは、3月に病死し今月23日に都内で偲ぶ会が予定されている作詞家の石坂まさをに見いだされた。1969年に「新宿の女」でデビューし、翌70年には「女のブルース」「圭子の夢は夜ひらく」が大ヒット。この年に日本歌謡大賞、日本レコード大賞大衆賞を受賞、NHK紅白歌合戦にも出場した。〉

テレビ局はどこも高層ビルが立ち並ぶ西新宿の現場から生中継した。ファンも現場を訪れて手を合わせている。

「藤圭子のこととなると、ちょっと客観的にって訳にはいかないかもしれない。私、惚れてんだ。惚れるとベッタリの性なんだ」──かつて作家でタレントの中山千夏はそう告白した。若い人には「宇多田ヒカルの母親」というイメージの藤だが、やはり中高年にとっては一世を風靡した大スターの印象が強い。

彼女が抱えていた「心の闇」

 

 

飛び降りる直前にベランダに立ったとき、彼女の目に見えたものは何だったのか。ちょうど朝日が差し込む時間だったから、キラキラ光る太陽の光を浴びたかもしれない。

その瞬間、自殺を思いとどまることはなかったのか。そもそもなぜ死を選んだのかという理由を私は知りたかった。遺書はないので詳しいことは分からないし、勝手な判断もできないが、彼女が心の闇を抱えていたのは確かだろう。

◆◆◆

【厚生労働省のサイトで紹介している主な悩み相談窓口】

▼いのちの電話 0570-783-556 (午前10時~午後10時)、 0120-783-556 (午後4時~同9時、毎月10日は午前8時~翌日午前8時)

▼こころの健康相談統一ダイヤル 0570-064-556 (対応の曜日・時間は都道府県により異なる)

▼よりそいホットライン 0120-279-338 (24時間対応) 岩手、宮城、福島各県からは 0120-279-226 (24時間対応)

〈 「歌を歌う人って、すごく紙一重」彼女はなぜ自死を選んだのか…? 生まれ故郷を訪ねて見えた「藤圭子(享年62)が抱えていた不幸の影」 〉へ続く

Related Posts