1984年1月10日、北海道札幌市で発生した「H君事件」は、司法の闇を象徴する凄惨な事件として語り継がれています。9歳の少年H君が行方不明になったこの事件は、容疑者の工藤かず子が無罪となる衝撃的な結末を迎えました。H君は、友人の母親から物を返されるとの電話を受け、外出しましたが、その後行方が分からなくなりました。彼の兄が後を追ったものの、H君を見失い、母親が心配して警察に捜索願いを出したのは昼過ぎのことでした。
警察の捜査の中で、工藤かず子がH君を目撃したと証言しており、彼女の行動は疑惑を呼びました。失踪当日の夜、工藤は大きなダンボールを抱えて家を出て、その後生活保護を申請し、引っ越しをしました。近隣住民は、彼女が田んぼで燃やしたダンボールから異臭を感じたと証言しています。
1985年5月、工藤は農業を営む男性と再婚しましたが、彼女の生活は浪費にまみれ、夫の貯金をあっという間に使い果たしました。1986年12月30日、夫が自宅で発見された際、火事が起き、工藤は無事でしたが、夫の死亡原因は不明のままでした。工藤は夫の生命保険金を受け取る権利を持っていましたが、警察は彼女の放火の疑いを持ちつつも、証拠不十分で逮捕できませんでした。
1990年には、H君の遺骨が発見され、工藤は逮捕されましたが、裁判では無罪判決が下され、控訴も棄却されました。法廷での彼女の「黙秘権」が強調され、検察は証拠不十分と判断されました。この結果、工藤は2160万円の賠償を求め、無罪を得た後も国からの支払いを受けることになりました。
この事件は、司法制度の限界を浮き彫りにし、被害者遺族や社会に深い怒りを残しました。工藤かず子のその後は不明ですが、今もなお、事件の真相を求める声は消えていません。