1970年代に一世を風靡したアイドル歌手、天まりさんが急逝したとの報道があり、その背景にある複雑な人生が注目を集めています。天まりさんは1951年11月5日に埼玉県で生まれ、1971年に「水色の恋」でデビュー。透き通るような美声と可憐な笑顔で多くのファンを魅了し、国民的アイドルとしての地位を確立しました。多くのヒット曲を持ち、特に「虹を渡って」は春の選抜高校野球の入場曲にも選ばれました。
しかし、華やかな表舞台の裏では過酷なスケジュールに追われ、健康を害することも多く、1977年には甲状腺機能障害で緊急入院を余儀なくされました。2年半の休業期間を経て復帰したものの、再びヒット曲に恵まれず、アダルト路線に進む決断を下しました。この選択は賛否が分かれ、ファンの間にも衝撃が走りました。
さらに、天まりさんは自身の新婚旅行時に飛行機内での出来事を語り、当時のアイドル像とはかけ離れた発言が話題となりました。彼女と沢田健二さんとの交際についての噂もあり、さまざまなスキャンダルが報じられましたが、天まりさん自身はこれを否定しています。
現在、天まりさんは神奈川県内の老人ホームに入居しており、その生活費はファンクラブの会費などで賄われています。彼女の娘、青木マホさんは現在マネージャーを務めており、親子の絆は深いとされています。2023年10月には映画祭にも登場し、72歳になった今もなお多くのファンに愛され続けています。
天まりさんの波乱に満ちた人生と音楽への情熱は、今も多くの人々に感動を与え続けています。彼女の存在は、1971年の芸能界の変革の中で確固たる地位を築いたアイドルとして、今後も記憶されることでしょう。