桜田淳子が統一協会を脱退し、芸能界復帰を目指すとの報道が注目を集めています。1970年代から80年代にかけて、彼女は花の中三トリオの一員として、日本中で人気を博しました。しかし、1990年代に入ると、統一協会への入信と合同結婚式への参加が公になり、世間からの批判にさらされることとなります。
桜田は1958年に秋田県で生まれ、1972年には人気オーディション番組「スター誕生」に出演し、瞬く間に注目を集めました。1973年にはシングル「天使も夢見る」で歌手デビューを果たし、山口桃えや森光子と共に一大ブームを巻き起こしました。彼女の代表曲には「私の青い鳥」や「キまぐれビーナス」などがあり、人気は絶頂に達しました。
しかし、80年代に突入するにつれて、桜田のキャリアは変化を余儀なくされました。統一協会に関わることで、彼女のイメージは世間から疑問視され、芸能活動は事実上停止状態に追い込まれました。1992年には韓国ソウルで行われた合同結婚式に参加し、そこで選ばれた男性と結婚しました。この出来事は大きな波紋を呼び、桜田の家族との関係は悪化し、絶縁状態に至ったと言われています。
桜田は結婚後、福井県に移住し、3人の子供を育てながら、時折メディアに姿を見せることはありましたが、かつての人気アイドルとしての活動は限られていました。2013年にはデビュー40周年を記念するイベントが開催され、大きな反響を呼びましたが、その後も芸能界復帰には高いハードルが立ちはだかっていました。
最近、桜田が統一協会を脱退したとの情報が流れ、夫である信之さんも教団から離れた可能性があると報じられています。もしこれが真実であれば、桜田の芸能活動再開の道が開かれるかもしれません。近年、彼女は教団のイベントに参加することが少なくなり、信仰から距離を置いている様子が伺えます。
2025年には東京地裁が旧統一協会に解散命令を下す見込みであり、桜田一家にも大きな影響が及ぶ可能性があります。教団が消滅の危機に直面する中、桜田淳子が芸能界への復帰を果たす日が来るのか、今後の動向に注目が集まります。