上杉昇のWANDS脱退の原因が中山美穂だった真相
ロックバンドWANDSの元ボーカル、上杉昇さんが、中山美穂さんの急逝を受けて感慨深いメッセージを自身のX(旧Twitter)で発表しました。1992年にリリースしたコラボシングル「世界中の誰よりきっと」は、上杉さんと中山さんの名を一躍有名にし、200万枚以上を売り上げる大ヒットとなりました。この楽曲は、同年のNHK紅白歌合戦にも出場し、中山さんの代表曲の一つとして知られています。
上杉さんは、中山美穂さんを「人生の恩人」とし、彼女との思い出を語りながら心よりの冥福を祈りました。90年代の音楽シーンで多くのファンを魅了したWANDSは、数々のヒットを連発しますが、1997年には上杉さんが脱退することになります。脱退の理由としては、音楽的な方向性の違いが挙げられます。彼はインタビューで「やらされている感が強かった」と語り、自身の音楽的な自由を求めて脱退を決意したと明かしました。
上杉さんが脱退後に結成したバンド「A2」は短命に終わり、その後は音楽活動を続けながら自身のレーベルを設立。2007年には「猫騙」というバンドを結成し、これまでとは異なるスタイルで音楽を追求しています。彼の外見は、スキンヘッドやタトゥーなど、以前とは大きく変化し、現在の活動ではネイティブアメリカン風の衣装を身に着けたライブパフォーマンスを行っています。
上杉さんの私生活については、結婚の事実は公表されていませんが、2008年にリリースされた「世界の果てに」という曲は、彼の最愛の人に捧げられたものであるとされています。また、2009年にはメンバーの宮沢正弘さんの追悼の場で、恋人がいたことが明らかになりましたが、具体的な結婚歴については不明です。
2024年現在、上杉さんはソロ活動や猫騙での音楽活動を続けていますが、WANDS時代のイメージが強く残り、未だに「JポップのWANDSの人」と見られることに対して複雑な思いを抱いていると語っています。彼は自分の音楽を追求し続ける姿勢を崩さず、今後もファンの期待に応え続けることでしょう。
WANDSは再結成し、新たなボーカルを迎えた第5期メンバーとして活動を再開しています。上杉さんと共に活動した柴崎浩さんや木村新也さんも参加し、今後の新しい展開に期待が寄せられています。上杉昇さんのこれからの活躍にも注目が集まっています。