日本初の女性弁護士、三淵よし子さんの実像が再評価されています。彼女の両親や夫の経歴が注目される中、特に彼女の母親と父親の教育方針が、彼女のキャリアに大きな影響を与えたことが分かりました。
三淵よし子さんは、台湾銀行に勤務していた父・武藤佐尾さんの影響を受け、女性が教育を受ける重要性を教えられました。父は「普通のお嫁さんになるな」と子どもに語り、専門職を目指すよう励ましました。一方、母・武藤信さんは、女性は家庭を守るべきという考えを持っており、よし子さんが法学部に進学する際には猛反対したといいます。このような異なる価値観が、三淵さんの人生において重要な役割を果たしました。
三淵さんは、戦時中に初婚した夫・和田義男さんと死別し、その後、裁判官の三淵健太郎さんと再婚しました。彼らはそれぞれ前のパートナーとの間に子どもを持っており、複雑な家庭環境の中で新しい家族を築きました。三淵さんの息子である吉たさんは、生物学者として活躍し、彼女の奮闘を目の当たりにしてきました。
三淵健太郎さんとの間には、娘3人と息子1人が誕生しました。特に、長女の中さんは、父親が三淵さんに甘いことに不満を持っていたようで、家庭内での衝突もあったとされています。子どもたちは、三淵よし子さんを「猛女」と呼び、気兼ねなく意見を言える関係を築いていたことが伺えます。
三淵よし子さんの子どもたちの現在に関する情報は限られていますが、彼女の影響力と家族の絆がいかに強かったかは明らかです。彼女の物語は、戦争や社会の変化の中で女性がどのようにキャリアを築いていったのかを示す貴重な例となっています。